科学的根拠をもとにした健康保険適用に関する判断分析の是非をめぐって

何がよい政策かはどうやって考えるのがよいだろうか?

CMS’s Landmark Decision on CT Colonography

— Examining the Relevant Data

あなたがある中核市の市長だとして、大腸がん対策をどうすすめるか考えてみよう。対策の一つとして検診があるが、市民にとって受けやすいものではないと実効は上がらないだろう。大腸がんの診断では大腸内視鏡検査が行われていることから、その検査法を検診に用いることが考えられる。しかし、疾患が疑われている場合にはそれを行うことが正当な検査であっても、健常者に行う場合に侵襲が無視できないという話を聞くと、無症状者を対象にした検査として妥当かどうか躊躇せざるを得ないだろう。また、大きな集団への適用を考えると、財政上の負担も考慮しなければならなくなるだろう。限られた税金を有効に活用しなければならないのであなたの責任は重たい。

より負担が小さい方法として、国立がんセンターの大腸がん検診ガイドラインは便潜血検査(免疫法)をグレードAで推奨している[i]。注腸X線検査はグレードCで集団を対象にしたスクリーニング検査として推奨していない。便潜血検査(免疫法)を行うと毎年受診する住民の大腸がん死亡リスクを6割減らすとされているが、大腸がんがあってもこの検査で陽性になる可能性が3から9割とばらつきがあることを知ったあなたは、もっとよい検査がないものか消化器内科医に尋ねることになるだろう。そこで、あなたは仮想内視鏡の存在を知ることになる。大腸内視鏡検査に迫る情報がより少ない負担で行えることを知ったあなたは、市で独自に検査費用の負担制度を導入しようと考えることになるだろう。さて、どのように検討を進めたらよいだろうか?

その問を扱ったのが表記の論文である[ii]。検診として成立するには、不必要な精密検査を誘発せず無用な費用を発生させないことや見落としが容認できる範囲であることなどが求められる。全身CTスキャンクリニックは保険会社が支持されず頓挫した[iii]が、米国Centers for Medicare and Medicaid Services (CMS)が仮想内視鏡によるスクリーニング検査にMedicareを適用しないことをこの論文は支持している。

仮想的に考えてみよう。現行の便潜血検査(免疫法)で、感度:0.6、特異度:0.9、有病割合:2.5/1,000、検診コスト:1,500円/人、精密検査:3万円/人、早期発見治療費:200万円、通常発見治療費:500万円、受診者:1万人とすると、検診費用は1千5百万円になる。検診を実施した場合、患者数:1万人× 2.5/1,000=25人、発見患者数:25人×0.6=15人、過剰診断:9,975人×0.1=998人であることから陽性反応的中率:15/(15+998)=1.5%となる。その費用は、検診コスト:1,500円/人×1万人=1,500万円、精密検査:3万円/人×1013人≒3千万円、早期発見治療費:200万円/人×15人=3,000万円、通常発見治療費:500万円/人×10人=5,000万円であることから、総費用:1億25百万円となる。一方、検診を行わない場合、通常発見治療費:500万円/人×25人=1億25百万円となり、寿命延長効果を考えると、検診を行う方が合理的となる。便潜血検査(免疫法)では検診コストが安いために救命効果の影響の考慮は不要であったが、これよりも価格が高い検査を行う場合や有病割合が小さい場合には、余命延長の金銭的な価値や割引率を考慮して考えることになる。

CMSが仮想内視鏡によるスクリーニング検査に保険を適用しないことを決定した理由は何だろうか?仮想内視鏡を用いたスクリーニングの限界の一つは陰性反応適中度が低いことであるが[iv]、CMSはこのスクリーニング検査の有効性を示す科学的根拠が希薄であるとしたのである。この論文の著者らは、Medicare対象年齢での有用性が示されていないことを強調している。さらに、これまでの政策的な決定で科学的根拠の年齢依存性の考慮が十分ではないことから、この決定が意義深いとも指摘している。科学的な根拠を提供するには、その疾患により影響を受ける集団の情報が必要であり、その情報を提供するのが公平だろう。そのためには臨床試験の適切な計画が重要になる。

CMSのこの決定に対して関係者の反応は必ずしも好意的なものだけではなかった。経済的な利害関係を持つグループから350を超える反対のコメントが寄せされ、政治家を巻き込んだ巻き返し運動が起こっている。専門学会の対応は二つに分かれた。CMSのこの決定の背景には医療保険財政がある。保険による支出はもたらす利益を最大化する必要があるのだ。CMSはパブリック・コメントへの対応としてCMSの方針に反対する学会の主張には科学的根拠がないと述べている[v]

この論文の著者らは、CMSの決定を支持し、科学的根拠に基づく健康保険改革に求めている。わが国でも科学的根拠に基づくがん検診ガイドラインの整備が進められているものの、「がん検診の有効性評価に関する真の理解が普及しているとは言い難い状況にあることが示唆」されている[vi]。皆様はどう考えられるだろうか?


[i] 国立がんセンター.大腸がん検診ガイドライン

[ii] Sanket S. Dhruva, Steve E. Phurrough, Marcel E. Salive et al. CMS’s Landmark Decision on CT Colonography — Examining the Relevant Data. NEJM 2009. 360(26), 2699-2701.

[iii]田中淳司.暴走した崩壊したCTクリニック.医療放射線防護 2005. (42), 78,

[iv] Daniele Regge, Cristiana Laudi, Giovanni Galatola etal. Diagnostic Accuracy of Computed Tomographic Colonography for the Detection of Advanced Neoplasia in Individuals at Increased Risk of Colorectal Cancer. JAMA. 2009;301(23):2453-2461.

[v] The Centers for Medicare and Medicaid Services. Decision Memo for Screening Computed Tomography Colonography (CTC) for Colorectal Cancer (CAG-00396N)

[vi] 厚生労働省がん研究助成金による「15-3がん検診の適切な方法とその評価法の確立に関する研究」班(主任研究者 祖父江友孝)「がん検診の有効性評価」についてのアンケート調査報告

出典.山口一郎.科学的根拠をもとにした健康保険適用に関する判断分析の是非をめぐって.CMS’s Landmark Decision on CT Colonography — Examining the Relevant Data.医療放射線防護.56,59-60,2009

参考資料

がん検診-何を選んでどう受ける

様々な課題

Immediate total-body CT scanning versus conventional imaging and selective CT scanning in patients with severe trauma (REACT-2): a randomised controlled trial

Efficacy, EffectivenessとEfficiency

飯沼 武.癌検診におけるEfficacy, EffectivenessとEfficiency
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記事作成日:2010/01/19 最終更新日: 2020/04/04

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