放射線とリスクセンス

正しい方法を用いないと正しい結果は得られない。

新聞報道から

「低放射線でもがん高率 広島非被爆者の2.7倍も」「原爆症認定に疑問」

(毎日新聞、2008.8.4)

「広島原爆 極低線量被曝 がん死高率」「名大など調査 白血病 男性は3倍」

(読売新聞、2008.8.4)


国の評価はいい加減だった?

やっぱり国は重要なことを隠していたんだな。
線量評価もいい加減だったんだ。
黒い雨の影響がないなんて証拠が残っていないから適当なことを言っているんじゃないかな。
そういえば、黒い雨の範囲の推定が間違っていたという新聞記事も見たことがある[1]

この記事が正しいと信じているのか…。

そりゃそうだ。新聞に書いてあるんだもん。博士が言うことより信用できる。

新聞記者は新聞記事よりもネットの方が信頼されていると思っているみたいだけど。

それに学術雑誌に掲載された英文の論文だよ。

人間は間違いを犯すものだから、無条件に信じず、何でも吟味しようって学校で習わなかったのかな?

原爆関係はなんだか国が悪いと言う雰囲気があるから、このような記事をあまり批判的に吟味しようという気にならないなあ。

解析結果

さて、この表からは、被爆地周辺のSMRの増加は放射線の影響と考えられるだろうか?

赤い線は被爆地周辺の標準化死亡比(SMR)が1を超えていると考えられるものじゃ。
青い線はerratumで修正されている箇所で、「person-years」は「person」であり何か特殊なSMRが用いられたのではないということじゃ。
また、女性の白血病で極低線量群のSMRの信頼区間が0.469-1.945は0.503-2.084の誤りであるということじゃ。

数字が間違っていたと言うこと?

間違いをなくすのはなかなか難しい。
このミスは議論には影響を与えないじゃろ。
間違いは直せばよいのじゃ。

5.6人の死亡を予想していたら6人死亡した場合の真のSMRの推計はどうしているのですか?

白血病での死亡確率はそもそも小さいのでポアソン分布を用いて計算している。
放射線計測のデータ解析と方法論は同じだ。

赤い線が多いね。
被爆地周辺では思った多くの死亡があったということは放射線の影響じゃないのかな。

線量との関係が重要じゃろ。

被爆地周辺でのSMRの増加が線量に依存してなさそうということ?
でも国の線量評価が黒い雨の影響を考えていない不当なものであれば、SMRの増加と線量に関係がなくてもよいような気がする。

この論文はその可能性を主張しておるが、論点が広がってしまうので、ここでは、この論文の議論の範囲でデータ解析の妥当性を考えよう。

疫学の勉強のためには論文を読んでみるのもよいかもしれないね。
記者の方が論文そのものを読むのは難しいと思うから。

柴田義貞先生がcommentaryを寄せているから、それを材料に考えてみてはどうかな。

SMR(標準化死亡比)を使った比較を考える

SMR(標準化死亡比)[2]で比較してはよくないとあるけど、年齢構成が異なる集団で年齢調整をして比較する方法は有効なんじゃないかなあ。
直接、年齢階級別に死亡率を比較するのは、面倒だし、個々の検定のパワー(差の検出力)が落ちる一方で、年齢階級別に検定を繰り返すわけだから有意水準をきちんと調節しないと検定の多重性で第一水準のエラーが増加しそうな気がする。

集団間の比較では、標本サイズが解析結果に影響を与える。
なぜなら、統計量には偶然変動が付きまとうから、偶然がより少数の集団で効いてくるからじゃ。

例がないとよくイメージできない。

数式だけだとうまく想像できない場合はシミュレーションが有効じゃ。
下の図は、
人口規模:100から1千万まで10倍毎
死亡確率:1/100,000
として、
それぞれの人口サイズの地域が1,000個あると仮定し平均死亡率を計算したものじゃ。

注意:この計算結果は偶然得られたもので、小規模自治体でイベントがたまたま発生した場合を捉えています。この例では、人口サイズと平均死亡率との関係は検出されていません。

死亡率が人口サイズに依存しているように見えるけど、
これは見かけ上ということなのか。
不思議な結果だ。

偶然変動の影響が人口サイズに依存するということじゃ。
たまたま一人死亡したことの死亡率への影響はより小さい集団に多く現れる。

小さい自治体で乳児死亡率の推移をただ単純に調べても偶然変動を観察しているに過ぎないということになるのか。

偶然による数名の過剰死亡が死亡率に大きな影響を与えうるので、結果として過大評価される確率が高くなる。
これである人里離れた迷惑施設の周辺の地区の死亡率が高いって結論づけて、その地区に補償するのはどうだろうか。

迷惑施設を受け入れていることに不利益があるのであれば、何らかの補償をすべきだけど、このデータで健康被害があるとして、その被害を補償するのであれば、まさに統計詐欺だね。

このシミュレーションから分かるのは偶然変動がどのような偏りをもたらすかの吟味が必要かということじゃ。

原子力発電所周囲でがん死亡率が高いなんてデータは、偶然変動がもたらした偏りかもしれないということか。
なんだか統計学そのものの欠陥のような気がする。

このためいろいろな手法が開発されていて、国では死亡率などの安定した推定を試みている(宮城県での取り入れ例)。
また、国立保健医療科学院では地方自治体の保健統計業務担当者を支援している。(pdf file, 315kB)

SMRは間接法[3]だから、計算は容易だけど、情報を有効に活用していなくて、直接法の方がよいということか。

いやいや、直接法[4]にも、限界がある。
ある年齢階級の人口が少ないときに、その年齢階級でたまたま偶然に死亡が1件増えただけで、その年齢階級の死亡率が大きく増加する。
直接法は、各年齢階級の死亡率の(重み付け算術)平均を求めるので、結果として値が大きくなってしまう。
このため、SMRの方が一般的に信頼性が高くなる[5]

そうすると、SMRの区間推定がよいということか。

SMRにも限界があって、2つの群の年齢階級別死亡特性がほぼ一様(等比性)でないと、前提が崩れてしまう。
等比性は通常成り立つと考えられるが、対象疾患に影響を与える因子がそれぞれの年齢階級に一様に働いていない場合などには、2つの群の比較にバイアスが入り込む。

なかなか難しいお話だね。

柴田先生はSMRを用いることに致命的な欠点があるという立場だけど、それはどういうこと?

等比性が保たれていないというのがポイントだと思うが、詳しくは先生が論文を書かれるのでそれを待つことにしよう。
いずれにしても、統計学のセンスのお話になるじゃろ。
では、センスを働かせて、他に考慮すべきことを考えてみよう。

対照群の設定を考える

やっぱり対照群の設定が妥当かどうかだな。
この論文の著者らは、放影研の研究では広島と長崎だけを対象にして、爆心地から遠くの低線量曝露群をコントロールしているのは、適切ではないとしているけど、それは説得力がある。
やっぱり曝露した群とそうでない群を比較した方がすっきりすると思う。

対照群をどう設定するかが疫学研究で重要でかつ、色々制約があるから難しいところじゃ。
対照群の設定は、
・論文の著者らが主張するように広島外で被曝していない群を対照にする(外部比較)。
・放影研での研究のように広島で爆心地から遠いところを対照にする(内部比較)。
の二つに大きく分かれるが、外部比較では、より交絡因子の影響を受けやすくなるので、一般的には偏りが大きくなり得る

なるほど、放射線の影響じゃなくて、その他の地域の特性を比較することになってしまうのか。
確かに都市部と農村部では社会経済状況が異なるのでがんの死亡状況も異なりそうだ。
なかなか難しいな。

対照地域をもっと大きくして(例えば日本全国)結果の一貫性を確かめることも考えられるが、地域差の補正はやっかいじゃ。

単に被ばくしていない群を対照にすればよいということじゃないんだね。

指標の妥当性を考える

次は死亡率と罹患率の指標の性質の違いだね。
何が違うと言いたいのかな?

データの正確性の議論じゃな。
放影研の研究では対象者が死亡したかどうかを正確に把握しておる。
指標は、
・正しくエンドポイントが把握できているかどうか(漏れがないか、データは正確か)。
・正しく集団を追跡できているかどうか(流入・流出での入れ替わりがないか)。
の吟味が必要じゃ。

バイアスが入り込んでいないかどうか考えないといけないんだね。だから疫学者は疑り深いのか。

方法論を事後的に考えない

事後的な議論はアリストテレスによって2,300年前に否定されていると言うことだけど、後からじっくり考えるのは悪いことだと思わないなあ。

科学な議論では公平さが重要じゃ。
恣意的な議論を避けなくてはならない。
データが集まってから解析法を考えるのはフェアとは言えないのじゃ。
だから、放射線影響研究所(RERF)の研究では事前に研究計画書で解析法まで指定しておる。

方法論を後でじっくり変えてデータ解析に適用させてはいけないなんて、準備が大変そうだけど、潔いよい態度だね。
そういえば学生の頃に実験リポートは先に方法を記述するように言われていたのだった。
自説に都合のよい観測方法が教育的でわかりやすいかもしれないね[6]

放射線影響研究所による反論

放射線影響研究所はどのように反論していますか?

まず、男女でリスクが違うことが合理的ではないとしている。

著者らはどう再反論していますか?

男性が後日入市し、核分裂生成物などで曝露した証左だとしている。

それは別の方法で検証するしかなさそうだね。
次に放射線影響研究所が指摘しているのは何ですか?

リスクが大きすぎてこれまでの研究と一致しないと指摘している。

それへの著者の反論は容易に推測できるな。
黒い雨による放射線曝露のこれまでの推計が誤っているということだね。
このほかの指摘は何ですか?

著者らの線量評価の議論に関して、これまで十分に検討されており、DS02ではソースタームを見直して幅広い物理的な測定でも検証されているので従来のものより適切だと考えられるとしておる。

解析されたデータそのものは批判していないのですか?

柴田先生からのコメントとは異なり、この研究が周辺地域の非放射線による死亡リスクが高いことを示すことに貢献していると述べられている。

で、その原因は何だとしているのですか?

周辺地域では喫煙など計測されていない交絡因子が影響を与えていると信じているとしている。

う〜む、この記述だけだと広島市や裁判官や国民の皆さんを納得させるのは難しいような気がしてしまう。
機密があるかもしれないけど、核爆弾の情報が分かれば、そのエネルギーがどのような経路で人間に与えられたかを考えれば線量は推計できるので、疑念が生じないように、その線量推計過程をわかりやすく示す必要があると思う。

研究成果をわかりやすく伝えることも重要じゃ。
このサイトでは今後も努力を続けたい。
ところで、この研究は放射線影響研究所の公開データが使われている。
このような研究は推進されるべきじゃが、解析の方法論が恣意的にならないように注意が必要じゃ。
その観点では研究計画の審査の質が問われるじゃろ。

正しくない解釈で不安が増強されるのは不幸なことだし、制度の信頼性をも左右しそうだ。

制度そのものは、リスク評価だけではなく、その決定過程や、そもそも責任の所在をどう考えて、どのような思想で何を補償するのかというベースの論理構築が重要じゃろ。
その一方で、科学的な知見が制度構築の柱として使われることから、わかりやすく説明するという研究者の責任が問われるのではないだろうか。

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リスクの受け取り方

自分たちの子供の命が軽く見られていると感じ、放射線に不安を持つことは、当然、ありえることだと思われます。
対応に対する疑念が、その原因の一つであるとすると、それらに関する素朴な疑問に答えるような率直な対話が必要なのではないでしょうか。

文献

Watanabe T, Miyao M, Honda R, Yamada Y. Hiroshima survivors exposed to very low doses of A-bomb primary radiation showed a high risk for cancers [published correction appears in Environ Health Prev Med. 2009 May;14(3):209]. Environ Health Prev Med. 2008;13(5):264-270. doi:10.1007/s12199-008-0039-8

Grant EJ, Shimizu Y, Kasagi F, Cullings HM, Shore RE. Radiation unlikely to be responsible for high cancer rates among distal Hiroshima A-bomb survivors. Environ Health Prev Med. 2009;14(4):247-249. doi:10.1007/s12199-009-0087-8

注釈

[1]
広島市域のうち東側と北東側を除くほぼ全域とその周辺部で、従来想定されていた黒い雨の範囲よりも広域に降った可能性がある【広島市】
“未指定地域の黒い雨体験者は、現在まで黒い雨の実態やその健康への影響が解明されない中で、健康不安が増大した可能性がある”
平成20年度(2008年度)に実施した原爆体験者等健康意識調査結果等に基づき、7月までに国に被爆地域を拡大するよう要望します。【広島市】

[2]予想していた死亡数と実際の死亡数を比べる。予想していた死亡数は、標準集団の年齢階級別死亡率と対象集団の年齢階級別人口から計算されたもの。

[3]=対象集団の年齢階級別死亡率を使わない。 標準化死亡比(SMR)の解説は用語集をご覧ください。

[4]=対象集団の年齢階級別死亡率を使って標準集団の年齢階級別人口を考慮して重み付け平均を計算する

[5]福富和夫、橋本修二『保健統計・疫学』(南山堂)

[6]辻野 匠『錯誤論:論理的/科学的に正しい推論/判断を妨げるもの』 (2009-07-15)

この文書のタイトル

NPO法人放射線安全フォーラム
第10回 「原爆被爆者の発がんリスク」 2009.10.24開催
放射線とリスクセンス(放射線医学総合研究所.吉本泰彦)
からいただきました。

厚生労働省の施策

原子爆弾被爆者対策(Support of Atomic Bomb Survivors)

被爆者対策予算の概要

令和5年度

被爆者対策予算の総額:1,188億円健康局:4,558億円

「原爆症認定の在り方に関する検討会」報告

朝日新聞.私の視点「被爆者援護法 科学の限界ふまえ改正せよ」(2009年8月20日付)の解説文書

長瀧重信.被爆者援護と放射線の人体に対する影響.Isotope News.No.675, 16-19,2010

統計

都道府県別にみた平均余命

都道府県のがん部位別の死亡率

標準化死亡比にみる各都道府県別特徴

発がん以外のリスク

2010年12月28日 第1回「原爆体験者等健康意識調査報告書」等に関する検討会議事録
飛鳥井望先生により調査結果の報告がなされています。
精神保健研究所の金吉晴部長(成人精神保健研究部)らによる、長崎原爆の心理的被ばく体験者の長期的な精神的影響についての研究がBritish Journal of Psychiatry誌に掲載され、英国王立精神医学会からプレスリリースされました

Kim Y, Tsutsumi A, Izutsu T, Kawamura N, Miyazaki T, Kikkawa T. Persistent distress after psychological exposure to the Nagasaki atomic bomb explosion. British Journal of Psychiatry. 2011;199(5):411-416. doi:10.1192/bjp.bp.110.085472

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記事作成日:2010/05/23 最終更新日: 2024/02/10